新しいことを学びたくなったとき、どうしますか?

最近団塊の世代の大量退職問題、いわゆる2007年問題が新聞を賑わせていますが、図書館の中としてはノウハウの引き継ぎ問題と合わせて、「退職した彼ら・彼女ら」そのものの問題もあるんです。「○○の手習い」とかいう「今更勉強ですよ」と言った自嘲気味の言葉がありますが、今の60歳程度じゃまだまだ若くて、彼ら自身も自分たちを「高齢者」などとは思っていない。「退職して、時間が出来たから改めて勉強しようと思ってるんだけど」「今になって父のことをもっと調べたくなった」とかいう卒業生や一般人が調べ物をしようと図書館を訪れようとします。

ところが、案外彼ら図書館の使い方をわかっていない。がむしゃらに働いている間に、公共図書館がどんどん変わっていったことも知らなかったりします。遠い大学に電話するよりも、先に近くの公共図書館に聞いてみようよと思うことも少なくありません。図書館員を電話相談員と間違えている人もいます。ネットにOPAC(オンライン蔵書目録)を公開しているので、それを検索すればすぐにわかるのに、「この学術雑誌はありますか」とか「この本ありますか」とか電話をしてくる人も多いです。また使い方を分かっている人でも、昨今の電子化の進行で、図書館に来てもらっても目的の資料がパソコンや電子資料のライセンスの問題で機関の所属者ではない人には使ってもらえなかったりします。

大学の図書館はちょっと特殊なのでまた別ですが、公共図書館は子供たちも使う場所だし、大人がこれから再び何かを学ぼうとするとき、あるいは国民として政治へのチェックをするための情報を得るときにも必要な場所です。特に国立国会図書館では、上記のような大学に来ても所属者以外使えない電子ジャーナルなども契約してくれていたり(だから最後は国会図書館に行けと学生にも言う)、公共図書館や大学図書館を巻き込んでレファレンス共同データベースを作ったりとがんばってますが、その努力や国民へのサービスを「副業」と言い放つ政府が、国会図書館を独立行政法人化しようとしている問題はあまり一般に知られていないようにも思います。また後手後手にまわって、問題になってから慌てて対処する前に、生涯学習機関、資料保存・情報提供機関としての図書館の役割をちゃんと認識してもっともっと整備して欲しいです。

・・・そもそも先進国とか言ってるくせに国立の中央図書館機能が無いなんて、恥ずかしくて公にできないですよ。私は。日本の数学研究がピンチとか、日本の子供のレベルが落ちたとか慌てて教育の見直しを声高に叫ぶ一方で、教師は給料もらいすぎだからと引き下げを検討し、国立の中央図書館機能は副業と堂々と言って恥じない政府が、本当に日本の教育をどうにかする気があるのか、それを小一時間問い詰めたい私なのでした。

(5/24追記)
教師の給料の引き下げについては、文部科学省に反論が出てました。しかしこういうのを見るといつも思うのですが、「意欲と能力」ってどうやって測るんでしょうね。なんか拘束時間外にどれだけ研修したかとか、自腹でどれだけ自己研鑽したとか、間違った方向に行かないと良いんですけど。

「教員給与4パーセント引き下げの方針固める。」(日経新聞)との報道について

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