納本制度と記録の保存

国立国会図書館法に納本の規定が定められ、制度化されてから5月25日で60周年だったことを記念して、前日の24日に国立国会図書館で作家の佐野眞一、書籍協会の筑摩書房社長、そして田尾国会図書館收書・目録部長を招いて座談会が開かれました。先日、そのとき国会に行った話は書きましたが、座談会のほうも大分時間が経ってしまいましたが、書いておこうと思います。

納本制度というのは、図書館員にとっては別に珍しい言葉でもないのですが、これが案外知られていないのがまず問題と言われていました。国立国会図書館は、国内で刊行された全ての出版物(部数の多寡や、一般流通してるかどうかは関係ない。音楽CDやビデオゲーム等もすべて含まれる)について、収集し、永久に保存して、国民の利用に供することになっています。これらは国会の審議でも重要な資料となるわけです。納本制度は別に日本だけの制度ではなく、先進国ではほとんどの国立図書館が行っていますし、中には無償で2部3部を納本する義務を課しているところもあります。アメリカの議会図書館はこの納本制度を利用して、校正段階でCIP(Cataloging in Publication)という簡単な目録を作成し、図書に刷り込むと同時に、その目録データを図書館に提供しています。図書館が一から目録を採る必要もなく書誌データが手に入るので、とても便利です。

ある程度大きな出版者だと、流通業者を介して国会図書館に納本されるというルートがほぼ出来上がっていて、民間出版の図書の場合は8割が納本されてるそうですが、本ではない媒体(音楽CDとか DVDとか)の納本率は4割を下回っているし、また自治体や政府機関が作成する審議会資料や調査資料などでさえ、半分程度しか納本されていないとか。祖父が、戦友会で記念誌を作ったとき、「こういうのは図書館に寄贈してもいいのか」と聞かれたので、「まず絶対に国会図書館に寄贈して。納本を取り扱ってる部署に連絡すれば教えてくれるから」と言いました。納本率が低いのは他にもいろいろ理由はありますが、一番大きいところは「その制度自体を知らない」に因るところが大きいようです。

佐野氏も「国会図書館に行けば何でもあるだろうと思っている人も多いだろうが、意外とそうでもない」といった発言をされていましたが、そもそも「国会図書館に行けば何でもあるだろう」というところさえ知らない人も多いかもしれません。確かに大学図書館のほうが研究というインセンティブがあるために、非常に貴重な一次資料、それしかない手書きの資料などは強い場合も多いです。でも政府関連資料が結構抜けてるというのは、漠然とは感じていましたが、こうして数字に出されると愕然としますね。以前、某省にある審議会資料(誰でも知ってる某審議会)について国会図書館にも無いので、省庁に問いあわせたところ、「閲覧スペースは無いので、必要な部分をコピーして送る、ただし全部あるか分からない」というびっくりな返事が帰ってきました。まともに保存する気が無いのに、そうした資料が国会図書館にも納本されていないというのは一体どういうことなんでしょうか。古い審議会資料は国立公文書館に送られてるようなので、どちらでもいいからしまわないで次々送ればいいのに。

座談会でも言われていましたし、私も何度かブログに書いたことがあるのですが、資料はいつでも近くにあるものから失われていくように思います。例えば新聞。読んだことは無くても、誰もが名前を知っているような、発行部数の多い雑誌類。また何度か例にもあげられていましたが、その当時の社会的な基準で猥褻と判断され、一般の公共図書館では収集しないような作品など、数年経つとあんなに話題になってたのに手に入らないなんてことが当たり前のように起こります。ほんの1ヶ月前の新聞を見るのでさえ、普通なら図書館に行かなければなりません。それが10年、20年前の新聞ならどうでしょう?多分近所の図書館には無いと思います。でもそうした資料は、マスコミュニケーションの変遷や歴史を知ったりする上で、あるいはその出来事を多角的に見るうえで重要です。でも今更20年前の新聞を手に入れようと思ったって不可能でしょう。現在刊行されているものをすべて取っておく、という姿勢でないと、長い時間が経ってから手に入れようと思っても、手に入れることはできないのです。先日、昭和期のスポーツ紙を複数紙比べて、その変遷を研究したいという学生が来ました。スポーツが娯楽の大きな部分を占めていた昭和時代、それを中心に報道していたスポーツ紙は、大衆文化を書き留めたものと言っても過言ではないと思います。学生さんの目の付け所は面白いと思うし、うまくすればなかなか無い研究材料になるかもしれません。しかし、残念ながら新聞を誇れるほど持っている職場にもスポーツ紙を保存するほどのスペースはありません。探したところ、ある程度まとめて古いものから保存しているのは、新聞ライブラリーと、国立国会図書館だけでした。

座談会で、もう一つ出ていた理由として、「日本人的な考え方の問題」というのがありました。歴史は固定された記録の上にしか存在しないのに、日本という国はそれを軽視する(その重要性を分かっていてあえて無視している?)傾向があるということです。昔からそうですが、何か資料があっても、時代が変わると意識的、無意識的にそれが廃棄されてきました。映画『JFK』で、あの暗殺事件の調査報告書の核心部分が2039年まで非公開にされて、ものすごく巨大な倉庫に眠るシーンがありますが、日本ならどうでしょう。100年後であっても公開を前提として保存されるでしょうか。調査していることも、そんな調査報告書があることも隠蔽されるのではないでしょうか。佐野氏は5月発売のノンフィクションを書く際に、第二次世界大戦時の資料を探すのにとても苦労した、ほとんど焼却処分されてしまっていた、といったことをおっしゃっていましたが、閲覧制限されて保存されるのと、焼却処分されるのとでは、現時点で見られないという意味ではイコールでも、将来のことを考えると全く違います。まあ、都合の悪いことは隠しておきたい(無くしてしまいたい)気持ちは、私も日本人ですから分かりますけどね。一方で、アメリカでは何でも保存してて、ある程度年月が経ったものが次々公開されてるのと見ると、図書館員としては何で日本は・・・と思わずにはいられません。

NHKの取材も入っていて、朝のニュースでも取り上げられていたようですので、これで少しでも納本制度が広がると良いですね。

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