1年を振り返って

今年のほぼ日手帳を開いてみると、1月1日の欄に「今年の目標、自転車で100km!」と書いてあります。それを書いた自分のことを思い出せません。地球の裏側でこれを書いていて、また改めて「ああ、遠くに来てしまった」と思います。結婚してから、全然海外にも行かなくなってしまったのですが、この数ヶ月でやたらと"海外"旅行をしました。全然海外に行ったって感じがしないのは、やっぱり移動時間のせい?(笑)。旅行は半分気を紛らわすためもありましたが、一人旅をしたおかげで、テキトーな英語で質問し、そして文句を言う度胸がついたのは収穫でした。また、多少の番狂わせ(いや、ニューヨークに閉じ込められたのは十分災難だったけど)も楽しむだけのゆとりも学んだ気がします。

というわけで、今年の最大のニュースは「カナダで生活したこと」。昨年「1年を振り返って」を書いているとき、来年の今頃、自分が海外で生活しているなんて、1mmも思っていませんでした。大変なことも沢山あったし、一方で、久しぶりにいろんなことに驚いたり、楽しいことも沢山ありました。旅行に来るだけでは分からないような、「この国の問題」を見ることもできたし、外から日本を考えるのは、とても良い経験になりました。北米を見てると、日本製品の質は文房具や衣服から車や電化製品まで明らかに高いし、実際に「日本製品=高品質」として受け入れられています。ロイドの家に日本画が大量に飾られてたり、MoMAのギフトショップで「ああ、これ家の飾り台にいいな」と思った置き時計が、裏を見たら"Made in Japan"と書かれていたり、ニューヨークの地下鉄の中で見た広告ポスターに「日本で最も売れてるマスカラ!」(資生堂のFiberwig mascara)なんいうのがあったり、日本の美的感覚は、すごくユニークな一方で、グローバルにも受け入れられるものだとも思います。「日本はまだいける」って誰もが思うのが大事なんじゃないかと思いました。

カナダに来るまでは、言葉のほうが問題だろうと思っていましたが(いや、それは十分今も問題なんですけど)、とにかく普通の日本食が食べられないのが(特に魚と米!)辛いです。毎週日曜に、イタリアンレストランでESLの人たちと会食してたんですが、サービスで出してもらったイカのマリネっぽいものを、私が「あー私これ大好きなんだ」と言って食べたら、「それって何?」とメキシコ人に聞かれ、「イカ(Squid)」って言ったら、彼はスペイン語がわかるカナダ人に「Squidはスペイン語でなんていう?」と聞き、そのカナダ人は今度は私に「それがSquidなのか?」と聞き返しました。さらにカナダ人、驚いたことにホタテの貝柱を知らなかった。トロント生まれのカナダ人が、ニューファンドランド生まれのカナダ人に「君のところは魚介類を食べるだろう」と言ってましたが、その彼が「ホタテは元々はどんな姿をしてるんだ」と聞く始末。大連生まれの中国人と、魚大好き日本人の私の間では、言葉が多少不自由でも通じるレベルの魚が、こちらではちゃんと形まで解説しなくちゃならないわけです。そのくらい、こちらでは魚介類がマイナーな食べ物。あんなでっかい湖があるんだから魚食べるだろうと思ってましたが、いくらでかくてもやっぱり湖、海とは違ったようです。来る前に「お気に入りレストラン巡り」をしましたが、帰ったら同じことを2周くらいしたいです。その大連生まれの中国人には、「中国のどこから来たの?」と言ったところ、中国語発音で返ってきてわからなかったので漢字で書いてもらったら、彼女は書きながら「あなたは絶対知ってるはず、昔日本が占領してた地域だから」って言ってました。占領してたことも含めて大連を知らなかったら、国際問題になるところですよ(笑)。

海外生活はものすごくいい経験だったけど、今日の夕飯を、カードか現金で支払うか、為替レートを見ながら考える生活は、もう一度やれと言われたらちょっと遠慮したいです。私の中ではやっぱり日本がHomeなんです。何度も本籍地が変わっていて、「実家」の印象が薄く、「故郷」も無い私は、日本の中では完全な「根無し草」ですが、やっぱり日本人であることが捨てられない以上、私は日本で死ぬことを選びますね。外資系に勤める人間は日本びいきになるって記事(外資系に勤めるとなぜ"右傾化"するのか)を読んだとき、なんとなく理解できる気がしました。たとえ、どんなにオズの国がすばらしくても、カンザスの「おうちが一番」だったドロシーの気分です。ワーホリで来たまま、こちらで外国人と結婚してしまった日本人の女の子複数人に会ったのですが(何故か男の子はあまりいない)、すごいなと思います。

あと、こっちに来て、ストレンジャーな私にカナダの人はとても親切にしてくれたので、東京で迷ってる外国人を見かけたら親切にしようと思いました。カナダでもアメリカでも、ちょっと地図やガイドブックを開いて道を確認してたりすると、必ず声かけてくれるんです。「お手伝いしましょうか?」と。東京で同じようにガイドブックを広げる外国人を見かけるんですが、見かけが外国人だと躊躇しますよね。いや、日本人でも。聞かれもしないのに、「お手伝いしましょうか」とか声かけにくいというか。本当は、北米の人は知らない人でも躊躇なく道を尋ねるんですが(バスで隣になった知らない人と話し込むなんてことも)、日本だと日本人は英語が苦手というのは分かっているからあえて聞かないということもあるのでしょう。彼らは助けが必要なかったら「いや、いいです」って言うだろうし、聞かれることにも慣れているということに気づいたので、絶対道迷ってそうな外人みかけたら声かけちゃるって思いましたよ。来年の目標(笑)。いや、結局尋ねられても、「言ってることが分からない」と、「答えが分からない」という両方の可能性があるんですけど。

同時に今年はほんとうにいろんな人に会った年でした。某図書館関係誌の編集委員をすることになったこともあって、その関係者、そしてこの地球の裏側の国でも、沢山の人に会いました。ロードバイクを買ったことで、そのつながりの人とも会うことができました。

カナダに来ていなければ、今年の最大の出来事は「ロードバイクを買ったこと」だっただろうと思います。来年はもっと沢山乗ってあげたいです。ちなみに今年の目標「自転車で100キロ」は案外早く達成されてしまいましたが、しばらくは落ちてしまった筋肉を戻しつつ、1年でもう少し長距離を目指したいです。箱根自走の目標はまだ達成されてませんし、いきなり自走じゃなくて、まず輪行を試してみたい気もします。シュレック兄弟やTTの鬼・カンチェラーラを擁するTeam Leopardが私が持っている自転車のメーカーであるTREKと長期契約したこともあり、来年はレースも楽しそうです。TREKのバイク、おすすめですよー。女性用も充実してるし、メンテンナンスもしっかりしてくれるし。同じレベルのバイクでも、ヨーロッパ系より安いと思います(ヨーロッパ系のバイクはコンポがシマノじゃなかったりするからなー)。カナダは、自転車を地下鉄に乗せるなとか言わないんですよね。犬とか猫とかも普通に乗ってるし。イグアナが乗ってるのを見たってワーホリの子が言ってました。なんでもありです。日本、特に東京は、地下鉄も電車も混雑するから難しいかもしれないですけど、普通に地下鉄のエスカレーターに乗ってる自転車を見るにつけ、こういうところが北米はいいなあって思います。

ここ年々時間が経つのが早くなってきていて、年末になると「ああもう1年経ったのか」って思うのですが、今年はあまりにいろんなことがありすぎて、東洋大の柏原君がとてつもない自己記録をさらに更新して箱根の山を制覇したのが遥か昔のよう。"Year in a minutes: Canada"をみて、「そうか、今年バンクーバーオリンピックの年だった!」と思い出したくらい。2010年は私にとっていろんな意味でターニングポイントだったかなと思います。気づくと来年は年女です。カナダに来ても、私はスケジュール帳(とGoogle Calendar)をびっしり埋めてないと気が済まない人(なんか強迫神経症的)でしたが、来年も「ほぼ日手帳」が倍の厚さになるくらい頑張ります。

全然年末という感じがしないのは、「正月」の雰囲気がここにはあまりないからですが、私は、例年同じように年末を過ごすことで、年末年始に自分を追い込んでいたんだなということにも気づきました。年末年始って、すごくプライベートな行事ですよね。会社はさすがに閉まるし、大抵の人は家族と過ごします。私もそうでした。いつものフレンチレストランでクリスマスディナーを食べながら今年の戦績をシェフと語って有馬の予想をし、有馬記念を観戦しに行って今年の中央競馬の総決算をし、大掃除をして、おせちと雑煮を作るために買出しに行き、東京大賞典でさらにスッて、競馬場でしか会わない相方の同僚と年末の挨拶をして、そして31日は紅白を途中で観終えて目黒のバーに行き、やはりそのバーでしか会わない人たちと新年を祝い、結婚式を挙げた神社に初詣に行き、2,3日は箱根駅伝を見る・・・1年が無事に過ぎ、みんな変わりなく新しい年を迎えるというのを、そうやって確認していたのかもしれません。うちは子供がいないし、自身の教育期間を終えてしまうと、毎年判で押したような行事って少なくなると思うのですが、だからこそ「年末年始」を象徴するそうした「行事」は、つまらないことだけど私にとっては重要なことでした。今強く思うのは、来年の正月は初詣も箱根駅伝もありませんが、年末は有馬記念を見て、ア◯サンが飲めますように、ということです。

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